演劇を信じる

 

「ぼくよりもっと素晴らしいローラがこれから来日します。そちらも是非見てください」

 

面食らってしまった。
2016年、ブロードウェイミュージカル『Kinky Boots』大阪公演、熱狂のカーテンコール。興奮渦巻く客席に向かって発せられたのは思いもよらない言葉だった。しかも、それは舞台の中心、0番に立った演者から投げかけられたのだ。先ほどまであんなに素晴らしい歌やダンス、芝居を見せてくれていた彼は自分の実力がまだまだ足りないとでもいうような謙虚さを滲ませて笑っていた。

 

三浦春馬


名前を聞けば、たいていの人は彼の顔が浮かぶだろう。14歳の母、恋空、ごくせん、ブラッディ・マンデイ……挙げ出せばキリがないほど、世に知られたたくさんの出演作。

 

だけど、わたしが『Kinky Boots』で観たのは誰もが知る俳優「三浦春馬」ではなかった。舞台に立っていたのはパワフルでチャーミング、繊細な内面を持ちつつ力強く前を向くドラァグクイーンの「ローラ」という一人の人間だった。顔も名前も売れた有名な俳優が個人の色を消し去って、声で、表情で、仕草で、歌で、ダンスで、生き生きと自分と全く異なる人間を表現する。役として生きるってこういうことなんだと思わされた。
聞けば、彼はこの作品に惚れ込んで、役作りのためわざわざNY留学までしたらしい。売れっ子俳優がその時間を取る難しさは想像に容易い。演じるために一切の妥協なく努力し、心から役を愛して、冒頭の言葉を発するくらいリスペクトを持って作品と向き合っていた。

 

あぁ、この人、本当に好きなんだ。その思いの強さに頭を殴られた衝撃があった。

 

それ以降、彼のことをテレビで目にすればうれしかったし、SNSで触れる人柄も心地よかった。なんといっても2019年、再び舞台でローラに会えたときのうれしさといったら。思い出すだけで胸が熱くなる。しかも、すごいパワーアップしててね。春馬くんはずっとずっと作品を、役を愛してくれてるんだって、舞台に向き合ってくれてるんだって。涙が溢れて、また世界が希望に満ちた。

 

わたしが知っているのはたったそれだけ。熱心なファンでも何でもない。出演情報を逐一チェックするとか、現場があれば必ず通うとか、寝ても覚めても彼のことを考えているとか、そういうのじゃ全然ない。

 

でも、その輝きはいつでも見失うことのない星のようだった。
わたしは舞台に立つ人間に希望を見出してしまう。割り切れないことも多いこの世界で出会えた素晴らしい作品を生きるための光だと思ってしまう。勝手に好きになって、勝手に励まされて、勝手に救われて。だから、どうか作品に関わるみんなが幸せでいてほしい。殊に、特別好きな人にはそう祈ってしまう。何をどう好きになるか、正しさなんてないのかもしれない。それでもこうなってしまった今、ずっと後ろめたくて仕方ない。生きてる人間を神様にすること。その罪深さが身に染みている。

 

彼はもう、好きという言葉も届かない場所にいってしまった。

 

今はまだ他人の気持ちに寄り添えない。春馬くんがいない現実味のない事実だけがそこにある。身体の半分が千切れてなくなった気がする。立ってるのか座ってるのか分からない。浮いてるみたいな、どこにも根を張れない、背骨のない生き物になった心地のまま、4日が過ぎた。心がついていかない。意味が分からなくてまともに泣けもしない。なのに、書いてしまう。言葉にするのも苦しくて仕方ないのに書かずにはいられない。こんなエゴイスティックなことばかり考えているわたしに、特別なファンでもないわたしに、悲しむ権利があるのかすら分からない。心も身体も全部がちぐはぐになっている。

 

それでも当然ながら、わたしはわたしの日常を続けている。そして、彼と出会ったのと同じようにこれからも劇場に通う。魂なしには生きられないから。ただそれだけが分かっている。